9/8 ヤマンバさま (ワサ小屋跡)

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熊野神社




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社殿脇の石像「役の小角(えんのおづぬ)」
蔵王を開山したという行者


「御峯は金峯山蔵王権現、人皇四十代天武天皇の御宇、白鳳八年(679)巳卯、役ノ行者の開闢なり(上山見聞随筆)」



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通称:ワサ小屋跡
熊野岳と地蔵山のあいだの凹部(鞍部)




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〜登山道・案内板より〜


姥神 ヤマンバさま

蔵王の主峰、熊野岳の山頂に『熊野神社(現在の蔵王山神社)』があります。その山頂に至る登山道、神社への参拝道で最後の上り口にあたるこの場所は、「ワサ小屋跡」と呼ばれ、おワサさんという老婆がここにあった山小屋の番をしており、参拝者の面倒をみていたといわれています。この土地は蔵王山神社地とともに山形市下宝沢の神保神官が司る敷地で、ひと頃は参拝者に対してここで水を提供していたといいます。

その昔、三途の川のほとりで衣をはぐという婆という伝説があり、そこから先は「女人禁制」であったという言い伝えがあります。立ち膝にギョロ眼、大きく開いた口の端から牙をむき出して、入山するものをとがめているようです。

この姥神、通称ヤマンバ様の石像がここにいつの頃から居るのか、いつ首が無くなったか、つい最近まで誰にも知られずに、積まれた石の下に埋もれていました。祓川登山道の分岐点を標す「首なし姥神さま」に、あらためて頭・顔部を再生しようという機運が上がり、このたび晴れて開眼と相成りました。

平成二十三年五月二十四日
蔵王山神社 総代会会長 小嶋信一
協力 蔵王ロープウェイ株式会社



株式会社「石駒」さま、修復記録

2011年4月13日 姥神修復
2011年5月7日 姥神修復
2011年5月11日 姥神嫁入り
2011年5月24日 蔵王地蔵尊春季祭礼
2011年6月3日 姥神嫁入り?



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地蔵山頂から蔵王スキー場をのぞむ。
朝日に照らされた地蔵山の影が、スキー場をおおっている。




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ヤマハハコ










〜田中英雄『東国里山の石神・石仏系譜』より〜


姥神を語るまえに、姥神に像容がよく似ている「奪衣婆(だつえば)」について簡単にふれておきたい。

奪衣婆は中国から伝わった『地蔵十王経』に説かれている、冥途で死者をさばく十王の眷属(従者)である。奪衣婆の座所は、冥途の入口である三途の川。その川を渡ってきた亡者の衣服を脱がせるのが、奪衣婆の役目だ。

脱がせた衣服は相方の「懸衣翁(けんえおう)」に渡され、そばの衣領樹(えりょうじゅ)にかけて生前の罪の重さが計られる。衣領樹の枝がたわむほど罪が重いとされ、枝が曲がらない者は極楽へ、曲がる者は地獄の十王の前でさらに罪の詳細を調べられて裁かれる。

「罪深き者は、帷重くて、大なる枝、地につく程、たはむなり(岩本裕『平野よみがへりの草子』)」



〜鹿間廣治『奪衣婆―山形のうば神』より〜

奪衣婆の調書次第で、六道(天国や地獄など)のどこへ行くかが大きく左右される。だから人々は自分が死んだ時や、亡くなった親しい人たちが軽い裁きを受けられるようにとの願いを込めて、奪衣婆の像に手を合わせたに違いない。

岩根沢(西川町)の老夫婦が「(奪衣婆に)お参りをすると極楽に行けるんだと。子供のころ親に聞かされた」という言葉は、岩根沢に限らずほとんどがそうだったのだろう。奪衣婆は本来、死んであの世に行ったときに自分の生前の罪を軽くしてもらい、出来るだけ有利な裁判をしてもらうための祈りの対象としての存在だった。

日本古来の姥神は、(中国由来の)奪衣婆とは何の関係もない存在のはずなのだが、奪衣婆の別称がおなじ姥神であるために、往々にしてこの両者は同一視されてきた。



〜田中英雄『東国里山の石神・石仏系譜』より〜

御岩山(茨城県日立市)の姥神像の案内板には「お乳の出にくい方、子育ての守り、子授けの守り神様です」とあった。福島県会津地方の姥神は「おんば様」と呼ばれ、山だけでなく安産の神として平地に祀られている。山形県の山形市を中心とした村山地方にも、姥神が祀られている。そのほとんどは修験道があった山で、蔵王山のように各登山口に姥神が祀られている山もある。



〜鹿間廣治『奪衣婆―山形のうば神』より〜

姥神の御利益は子供に関係するものが多い。たとえば「子どもが夜泣きをしなくなる」、「百日咳が治る」、「母親の乳の出が良くなる」など、姥神は小児に寛大な話が語り伝えられている。そこに乳母や地蔵の面影を感じることができる。乳母と同じに地蔵も子どもが好きだとするのが通常だからである。

村の中の姥神は、子育てや家内安全を願う道祖神的な性格に変化した奪衣婆なのであろう。もともと、奪衣婆信仰は地獄信仰と密接に結びついたものであり、時代とともに地蔵菩薩的な意味合いをもつよう変わっていったに違いない。奪衣婆は本来の人間の生前の罪状をあばく非情な役柄から、どんな悪人をも救済するいわば地蔵菩薩のような優しい存在にもなっていったように思う。
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by zuss2 | 2014-09-09 14:19 | ちょろ吉 | Comments(0)
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