ライザスキー場の「青い鳥コース」と「お清水ゲレンデ」の間には、不思議な森がのこされている。 〜『蔵王山調査報告書』山形県上山市教育委員会より〜 西国三十三観音の近くの巌上に祀る「蔵王権現像」は、躍動雄猛な忿怒相で、その左右に二童子が侍立しているのは「役行者本記」にいう善童鬼、妙童鬼であろう。これは『上山年代略記』によると明治二年(1869)の造立と記している。 〜『蔵王山調査報告書』山形県上山市教育委員会より〜 蔵王権現像の下に、石造の奪衣婆(だつえば)が立ひざで坐っている。左手をにぎって突出し、右手をひろげて膝にのせた立てひざ姿で、顔も丸く、胸部も腹部も丸味があって愛きょうがあり、深山の魔女とも思えぬふくよかさは登山者の足をとどめる。 〜『蔵王山調査報告書』山形県上山市教育委員会より〜 清水にのこる石碑石仏 蔵王山、六合目の清水は「おしず」あるいは「おすず」とよばれ、そして親しまれていたが、安楽院がここを支配し、行者(登攀者)のための行人小屋が設置されたのは天正頃(桃山時代)と云われている。ここは置賜方面よりの登山道と上山中川口の登山道の合致点に当る。 中川口の行者と、猿倉山の南方大門口からの登拝者がここに殺到したため非常に繁昌し、二階建の小屋には神壇、別当宿所、行者宿所がつくられ、それを囲む杉林(海抜千米以上に杉は育たないといわれているが、此処清水は美事に杉が繁茂し、高山の驚異とされている)は、置賜村山の信者たちの寄進植林によるもので、ますます其の荘厳味を加えていたが、そうした事もあって此処にはいろいろな石碑や石仏が造立された。 一方、女人禁制の蔵王山も此処までは女性も登山を許されていたため大いに繁昌したものであった。御山参詣者による賽銭や祈禱料は、清水小屋より馬に積んで下したとも伝えられ、最盛期の蔵王の繁昌を物語っている。 但しその清水も、エコーライン開通後は訪れる人もなく杉林も形を崩し、行人小屋は倒れてその残骸があわれに横たわり、荒れるにまかせるといった状態であるが、行人小屋(篭堂)の礎石や水飲場がのこり、さらに次に記す石碑石仏や、目通り185cmというミヤマヤナギの古木等ものこって、盛んだった昔をしのばせている。
by zuss2
| 2014-09-12 11:39
| ちょろ吉
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