水晶山と山岳信仰 [天童]

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水晶山の山頂にて




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御来光をあびる御神体(岩)
陽神として祀られている「蔵王大権現」




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御神体の岩のちょうど真裏に「奥の院」




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「奥の院」の左手後方、「御室(おむろ)」
陰神として「十一面観音」が祀られている。




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山腹の展望台からは天童の町と月山が




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禊(みそぎ)の井戸


平成16年6月1日に湿地帯の水はけ作業中、偶然に発見。数百年ぶりに姿を現した湧水の池である。中から朱塗りの漆器片などが出てきた。近くに大規模な石垣もあり、水晶山の山岳仏教・修験道を探るうえで貴重な遺跡と思われ「禊の井戸」と命名された(現地の説明板より)。



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「山神さま(石碑)」と「山姥(姥神)さま」


〜水晶山のパンフレットより〜

「山の神」近くに二体の山姥が祀られている。山姥は「山の神に仕える巫女」という説もある。寛政四年(1792)に右の山姥、寛政十年(1798)に左の山姥が建立された。女人禁制の山に祀られることが多い(終戦ごろまで女人禁制が守られていたらしい)。「山の神」は春になると里に降りて「田の神」となり、秋になると山にもどり「山の神」になるという。



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谷地中(やちなか)の石鳥居


〜東北芸術工科大学、文化財保存修復研究センター「日本最古の石鳥居群は語る」より〜

 地元ではこの鳥居を「弁慶の一夜造り」と言うが、それは笠木や貫などの横材がなく、柱しか残っていない現状と関係する口伝であろう。すなわち、弁慶が急いで造っていたが、「夜が明けたので笠を載せずに鳥居造りが終わった」という物語りが伝承されている(近くには、弁慶の馬が蹄で削ったと伝わる「雨滴岩」という豪快な史跡もある)。

 鳥居に向って中央に見えるのが水晶山であり、かつて山岳修験の聖地として隆盛を誇っていたとされる。このことから鳥居の帰属を水晶山とする説に異論はない。製作年代の類推は、関係資料の乏しい状況からは極めて難しい。ただ、「平安後期ないし鎌倉をくだらない」という説だけが漠然と伝わる。これは水晶山にまつわる修験の隆盛時期が平安時代だったという伝承に基づいたものである。

 鳥居は「門」であり「柱」である。柱だけがそびえる「弁慶の一夜造りの石鳥居」は、「柱」としての鳥居の原風景を静かに物語る。



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 水晶山は高い山ではないが、その歴史は深い。およそ1,300年前の開山と伝わる。蔵王と同じく、「役の小角(えんのおづぬ)」が開いた山だそうだ(大宝二年、702年)。また、神仏として「蔵王大権現(陽神)」と「十一面観音(陰神)」が祀られていることも、蔵王や瀧山との共通点である。加えて、石鳥居や姥神といった石造物も、山岳信仰ならではの遺産である。

 天童市の発行する水晶山のパンフレットには、出羽国に置かれたという「定額寺」、いわば朝廷お墨付きの国立寺院は、この水晶山にあったと書かれている。


〜水晶山パンフレットより〜

 『日本三代実録』に「貞観九年(867)に朝廷が出羽国の霊山寺を定額寺に指定した」と記された霊山寺は、遺跡群や地名などから水晶山の霊山寺であるという説が有力視されています。また、同歴史書には貞観十三年(871)に「出羽国の利神が朝廷から従五位下の位を与えられた」と記されており、これが山頂に鎮座する「水晶山神社(旧:大和神社)」であるともいわれています。


 ちなみに、その「霊山寺」というのは瀧山にあったという説もある(むしろ瀧山説のほうが一般的には知られているかもしれない)。いずれにせよ、この水晶山にも古来より篤い山岳信仰が根付いていたことだけは確かである。



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by zuss2 | 2014-09-25 13:06 | ちょろ吉
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